君はアーティスト、そして私は絶対的自由主義者。
ところが人は私たちを実業家に変装させた。とりわけこの私を。
(『イヴ・サンローランへの手紙』p.55 ピエール・ベルジェ/川島ルミ子訳 )
2008年に亡くなったデザイナーのイヴ・サンローラン。ほぼ同時期に作られた伝記映画2本(『サンローラン』『イヴ・サンローラン』)を先日鑑賞しました。そのあと読んだのがこれです。サンローランはゲイだったそうで、著者は50年間公私にわたってパートナーだったピエール・ベルジェ。(表紙写真の右がベルジェ、左がサンローランです)サンローランの死の直後から約1年間の出来事、回想などが書かれた本で、ある意味極上のJUNE文学でした。おすすめです。
…ちなみに自分はもともとブランド品に興味がなく(^^;)、サンローランもかろうじてデザイナーの名前だと認識していた程度。「イヴ」なんて女性かと思っていたくらいです。(スペルが違うんですね。ブランドマークにも入っているYでYves。知らなすぎてスミマセン)サンローランがゲイだったことも、もちろん映画で初めて知りました。なので、あくまで(ブランドへの思い入れなしに)鑑賞している立場だということをお断りしておきます。
イヴのことを思うとき、わたしがまざまざと思い浮かべるのは、
ディオールでの彼の最初のコレクションの後で知り合った近眼で内気な青年だ。
私の手を取り、連れていくようになる青年。栄光に出会ったことを、それが二度と彼を放さず、
スタール夫人が言うように「幸せの華やかな喪」をもたらすことを
彼がまだ知らなかったこの壊れそうな瞬間を私は思う。
彼は二十一歳だった。(p.176-177)
文章を読んで、この人はサンローランの脚注としての経歴――五つ年上で同性愛の恋人でもあり、独自のメゾンを協力して立ち上げ、その後私生活では別居したものの、サンローランの死後まで経営に従事――から想像しやすい、パトロンと実業家を兼ねたような人物とは少し違うと感じました。二人が出会ったとき、ベルジェはファッションでなく美術関係の仕事をしていたそうですが、もともとは文学を志していた人だそうで、「死者への手紙」という体裁のこの独白的エッセイは、ヴォードヴィル賞という文学賞を受賞したそうです。なんというか、納得。読んでいると、感触はまぎれもなく「文学」です。薄い本で、文字も余白も大きい。でもサラッと読めはしない本。ゆっくりと意味を咀嚼して、味わうための本。秋にじっくりと読むにはうってつけで、映画等で予習してから読むもよし、本の行間から二人の関係を推し量るもよし、です。
明日、バビロン通りの家を友人たちに見せに行く。
よきにつけあしきにつけ多くの思い出がぶつかり合っている。
そこだ、私たちが幸せだったのは。
そこだ、私たちが不幸だったのは。
そこだ、アルコールとコカインでいっぱいの君が、
このギリシャの頭像で私を殺しそうになったのは――。
私はかろうじてそれを避けたが。
そこだ、耐えがたい年月が始まったのは。 (p.25-26)
書簡集をたくさん読んでいるわけではないのですが、好きな書簡集がひとつあります。奇しくも同じフランス人のジャン・コクトーが、終生のパートナーであった俳優ジャン・マレーに書いた手紙を集めたものです。同性愛者がパートナーに宛てて書いた「手紙」で、返信は含まれていないという意味でも2冊は共通項があります。両方とも、途中で別々に暮らすようになり、それでも終生濃い絆で結ばれていた方たちです。
今回のベルジェの文章は、読んでみると手紙というより散文詩のようで、やはりコクトーのものを思い出してしまいました。が、フランス人がみんなこんな手紙を書くわけではありますまい。ベルジェはコクトーとも親交があったそうで、本の中にも名前が出てきます。(「コクトーはなんて正しかったのだろう。布とタオルを混同しないようにしよう」)この感触の近さは、同じフランス人でカルチャーとしても同時代の近いところにいた人達であるせいなのか、どうなのか。…まあ理屈を見つけることは専門家に任せて、ただ味わうことにしました。これは素人の特権です。(笑)
ある日、君の強い願望は悪魔と戯れることだとわかった。
私は君にとってバランスが取れすぎ、いわば堅すぎ、
そのために私は君を救うことかができなかったのだよ。(p.58)
この文章のある種のたどたどしさは、原文の味なのかもしれません。訳者のあとがきによると、個性的な文体をなるべく残そうとなさったそうです。「なのだ」と「…よね」がまぜこぜに出てくる形式的なことは別にして、書かれている内容の「なめらかな散文」にならない、感覚にいちいちひっかかる感じは好きです。なめらかすぎる散文は、時々ただのクリシェの連続にすぎないこともあるので。この文章はそうではないです。リアルな感情を記そうとするとそうなりますよね。コクトーのほうが実生活についての記述が多いのは、生きている相手に書いているからでしょう。
ベルジェの思索がまた興味深いです。我田引水ですが、以下のものなど、JUNEについて思うこととまさに重なります。
官能性、肉体、性とは何なのだろうか? この的を得た文
「いわゆるセックスと呼ぶことを民主化することにより、
人はまちがいなく官能的豊かさへの道を閉じたのである」
官能的豊かさという見解が私はとても好きだ。
体をエロスから切り離すこの見解を私は気に入っている。(p.79)
驚いたのは、ベルジェがサンローランに出会う前、画家のベルナール・ビュッフェと暮らしていたと書いていることです。絵画には詳しくないですが、ビュッフェは夢中になったことがある数少ない画家です。私が学生時代に見たのはたぶんデパートの美術展で、そのころよく催されていた印象があります。太くて荒々しく見える黒い輪郭線と、モノトーンの、特に風景画が印象的でした。たしか複製画を買って飾ったような……。(うろ覚えなので間違っていたらすみません)でも若い頃男性と暮らしていたとは知りませんでした。ベルジェははっきりそういうニュアンスで書いているので、単にルームシェアしていたわけではないでしょう。ウィキペディアのビュッフェの項を見ましたが、まったくその頃のことは出ていません。ビュッフェが結婚したのは1958年。ベルジェがサンローランと出会ったのがやはり58年です。
同性愛者であることについて、ベルジェは「一度として隠しもせず、見せびらかしもしなかった」としていますが、18歳で故郷を離れてパリに出るときに母親にもらったという手紙から、じつに印象的な引用があります。手紙自体はなくしてしまったけれど忘れたことはなかった、と記しています。
「今度はあなたの同性愛のことを話したい。
私にショックをあたえることは何もないし、
私が何よりもあなたが幸せでいることを望んでいるのを知っているでしょう。
でもあなたの交際が心配だし、
それにもしもあなたがスノビズムや出世欲からゲイになったのなら、
私が認めないことも知っておきなさい」(p.133)
ベルジェとサンローランの関係はとても苦渋に満ち、複雑なものでもあったようですが、やはりこれらは「恋文」だと思いました。なんというか、人と人の関係というのはそういうものなんだなあ、と感じます。また、死んでしまった人、生きていてもけっして会うことのない人は、逆説的に、思いを捧げるには完璧な対象になりますね。サンローランの生前には、やはりこういう文章は書かれ得なかったでしょう。悲しくはあるけれど、すべてが終わったからこその静かな境地があります。文学になり得ている一つの要素は、こういったところから匂い立つものでもあります。以下の二つは、二人が集めた美術品の展示・オークションに当たっての言葉です。単純だけどすごく印象に残りました。
このすべては君なしではなんの意味もないのだよ。
私たちの暮らしは展示され、しかも売られる。(共に p.55)
最後に、サンローランに対して、二人がやってきたことに対しての言葉を引用します。
不可能なことは何もないと、
奇跡を信じなければいけないと、
そしてまず危険を考える人には耳を傾けないようにと、
私が言い続けていた人。
私たちは危険を無視したから実現できたのだ。
この上もなく常軌を逸したこうした夢を。
なぜならば私たちは正気ではなかったからだ、まさしく。(p.178)
私のようにお二人になじみのない方は、やはり映画から入るほうがイメージしやすいしれません。伝記映画二本は、いずれもサンローラン役は絶世の美男俳優が演じています。(『サンローラン』では若い頃を『ハンニバル・ライジング』のギャスパー・ウリエル、晩年をかつて伝説の美男俳優であったヘルムート・バーガー(むしろこちらの今の姿に感慨が)、『イヴ・サンローラン』では、この作品でブレイクした新星ピエール・ニネ。ピエール・ベルジェ役に関しては、どちらの映画と較べてもご本人のほうがハンサムだと思います(笑)。好きな昔のフランス人俳優でフランソワ・ペリエという人がいるんですが――コクトー映画の『オルフェ』で演じた死神の運転手がとても好きなのです――彼をさらに洗練させた感じです。特に若い頃の写真はとてもハンサムで、そのうえ芸術に造詣が深く、自分に足りない性質を補うように持っているこの人物に、21歳のサンローランが惹きつけられたのはなんとも運命的な気がします。というか、その後の二人の生きざまが、遡ってこの出会いを運命的なものにしているんでしょうね。
伝記映画以外にドキュメンタリーもあるそうで、そちらも見てみたいと思っています。
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