新聞の切り抜きですが、最近思っていることと響き合う内容だったので、切り取って机の前に貼っています。
「それよりも、掃除をします」
仙台の小さな書店にて
(朝日新聞「折々のことば」2024/1/28)
書店を開業してすぐコロナ禍になったものの、辛抱強く店を開いてきた店主さん。筆者さんが「特別な工夫とかしたの」と聞いたところ、持ちかけられたイベントに乗ったりもしたが、最後はやっぱり「店の中に手をかける」ことだった、と語られたという記事です。自分はやってることも立ち位置もまったく違いますが、なんとなく背中を押されたような気がしました。
じつは昨年あたりから、Twitter(X)の投稿・閲覧よりサイトやブログの更新に力を注ぐようにしています。(見直すと情報が古いままだったりリンクが抜けてたり…反省反省☆)ご紹介した記事に照らすと、自分にとっての「店」はこのサイトやブログ、もっと本質的には広い意味での創作活動……なんだと思います。長いこと小説の新作が書けていないのにこんなこと言ってるのは我ながら「イタイ奴すぎ」ですが、それも苦手なSNS系の活動にへんな義務感を感じて「意識や注力を向ける先を間違っていた」のが原因の一つじゃないかな、と。物理的(時間的)・精神的なリソースを持っていかれるのはもちろんですが、周りを遮断して籠もる環境が自分には必要なようです。(いろんなタイプの方がいるので、あくまで自分は、です)
Googleアナリティクスを放棄したので(新コードへの更新をせず、データを見るページのブクマを削除しました)、サイトやサイト内ブログのアクセス数はわかりませんが、bloggerの訪問数はあまり変わらず、再掲のみのnoteやMediumはむしろ閲覧が増え(フォロワーさんが増えたわけではありません。こちらについてはいつか改めて書きます)、心配していた本(kindle/紙)の売り上げもそう変わっていません。もともと少ないのですが(笑)。(そもそもTwitterでの宣伝はあまり意味がなかったってことなのか…???)
でもこうして発信する場の重点を「気分的にラク」なところに移したことで、少し精神的に落ち着いた気がします。何より自分がこうして文章を書くことを再び楽しめるようになりましたし、絵も少しずつ……遠回しな「リハビリ」をしています。
Twitterを始めた頃は、「たくさん投稿や反応をしなきゃ」「宣伝に協力してもらった方々の投稿をチェックしなきゃ」などと思い詰め、他の事ができなくなってノイローゼ(今時言わないか(笑))に近い状態になってしまいました。ネット上のいろんな同人誌イベントに申し込んでみたりもしましたが、やはりSNSでの連携協力が必須なので、結局は自分の手に余り、逆に主催者さんや他の参加者さんに失礼になりかねないので諦めました。
Twitter(X)はコミケ等リアルイベントの公式さんとの連携もあるので、完全にやめるのは今のところ難しいです。でももう少し関わりを減らして(自分の中での優先順位や重要度を下げて)、より大事な活動(=「自分の店」の手入れ)に時間と意識を向けていけたら……自分にとっての「芯になる活動」をきちんとしたら、もしかして今苦手だと思っていることにもストレスを感じなくなるかもしれない……なんてことも思います。
「SNSでつながってくださっている方々を否定することになりはしないか」というのが、これまでXから距離を(精神的に)とれなかった理由でした。でもこれ、要するにイーロン・マスク(=資本主義。この方は象徴にすぎません)にこの「バーチャルなつながり」を人質に取られているだけじゃないのか、と思うようになりました。人とのつながり方はさまざまで、別に毎日オンラインで消息を確認し合うばかりが人づきあいではないはずです。リアルで再会したときに「お久しぶりです」「最近どうですか」と話せるのが自分には理想の距離。今時それではだめだということなら、自分は時代遅れの人間なのだと、きちんと自覚したほうが楽かもしれません。(笑)