きっかけ~ドナルド・キーン自伝~
8月に胃を壊しまして、しばらく養生していた間、いつもより本を読むことができました。それで読み止しだった本をいくつか読了したのですが、その中の一冊が『ドナルド・キーン自伝』でした。(あれ、今は増補新版になってるんですね!)
キーンさんはなんとなく好きで、でもご著書をきちんと読んでいたわけでもなく、まあテレビでキーンさんの番組があるのに気づくと見る程度のゆる~いファン(?)でした。自伝も手に入れてから読み止しのまま放置が長くて、そうこうするうちにご本人が旅立ってしまわれました。
ちょうど父が他界してから間がない時期だったので、感情的に麻痺していたというか、なんとなく現実感が薄かったのですが、ああ、この方も……とボンヤリ寂しく思ったことを覚えております。
今回やっと読了してあとがきを読んでみたら、すごく印象的なことが書いてありました。ちょっと引用させていただきますね。
自分が日記をつけていなかったことを、残念に思うことがよくある。
日記があれば、過去の多くのことを思い出す手掛かりになったに違いない。
しかし、いっそのこと忘れてしまった方がいいのかもしれない。
もしすべてを覚えていたら、子供の頃に私を怖がらせたものや、
学校で嫌いだった先生のこと、私を裏切ったと思った友達や、
こっちが愛しているのに向こうが愛していなかった人々のことを思い出すだろう。
そう、たぶん思い出そうとしない方がいいのだ。
ドナルド・キーン自伝(角地幸男 /訳 中公文庫旧版)p.354 (原文は改行なし)
この文章に、自分が感じたキーンさんの繊細な部分、とてつもない才人なのに親しみやすい部分が凝縮されている気がしました。
もちろん本文の内容も、日本語に惹かれたきっかけから戦時中の通訳での体験、戦後の日本の作家との交流など、豊かで読み応えがありました。でもひとつひとつの描写はさらりとしていて、重くなってもおかしくない内容が読みやすいのはお人柄でしょうか。あるいは上記の、日記がないおかげで時間が記憶を浄化したためでしょうか。
(今思い出したんですが、以前テッド・チャンさんもライフログに絡めた講演で、記憶は変わっていくことがあるけれど、必ずしも正確な記憶・記録があることが人間にとって幸いとはかぎらない、というあたりに触れていたことがありました。繊細な問題だと思います)
三島由紀夫からドナルド・キーン先生へ
中でも三島由紀夫については、「三島由紀夫の自決」と一章を割いている他、海外の賞の審査員として推薦したこと、ノーベル賞がとれなかったことetc.に触れていて、お二人の交流に興味が湧きました。そして見つけたのが、冒頭の写真にある『三島由紀夫未発表書簡―ドナルド・キーン氏宛の97通』という本でした。
もともと書簡集はけっこう好きなので(「書簡集風のフィクション」は別です)、これはいきなり購入してしまいました。もう古書しかないのですが、アマゾンで見たら文庫版のほうがずっと高いので、より安価だった単行本を。(これだけ差があるとは追加原稿があるのかな?と図書館で文庫を借りたところ、解説が追加されていたのでそこは借り本で補完しました(^^))
へんなこと言いますが、装丁が……なんだかデジャヴというか、親近感が湧きました。カバー用紙が同人誌の表紙で使ったことのあるパルルック(光沢のある特殊紙)に似ていて、飾り罫の使い方や配色など、ジャン・コクトーの手紙を集めた『ジャン・マレーへの手紙』(長年愛読しています❤)とも双子のように似ています。ちょっと自分なども「J.GARDEN向け」に作るときに「やりがちな」テイストなので――ああなるほど、そういえば耽美なイメージのある方だったのよね――と再認識しました。
あ、ここで書いておかなくちゃいけないのですが……じつは三島さん自身には思い入れがありません。小説は昔読もうとして合わなかったためその後縁がなく、ご本人の強烈なイメージ(特に筋肉誇示の写真)が苦手で、わりと鬼門になってた部分もあります。なので、たぶん自分の抱いていたイメージは、一般的なマスメディア報道でできたイメージ――美輪明宏さんが語る思い出や自決事件周辺、最近公開された「VS東大全共闘」の映画宣伝、昭和の文化人タレントとしてのイメージ――――などに偏っています。少しだけ作品に関連する部分では、数年前に『午後の曳航』という旧作洋画をたまたま見て「原作・三島由紀夫」に「へえ」と思ったこと、歌舞伎の『椿説弓張月』などなど、映画やお芝居関連が主です。思えばJUNEとかなり重なる美学……というより、JUNEの1ジャンルとして確実に存在する美学を打ち立てた方なのに、近いようで遠い世界の方と見ていたようです。
それがこの書簡集を読んでみたら、とても礼儀正しい印象で、一部ナイーブな感覚には共感さえできたことに驚きました。おそらくキーンさんの立ち位置が独特であるのも一因でしょう。日本を好いてくれる外国人、というだけでも日本人は好意を持ちやすいですし、しかも三島さんにとっては自作を評価してくれる研究者であり、海外に作品を紹介したり、理想的な形で翻訳してくれたりする存在。それに加えて、日本の古典文学や伝統芸能への愛情を共有しているのです。(書簡を読むと、これは当時でさえ日本人に同士を見つけることが難しかったようです。皮肉なことですね)
その割に他人行儀なところがあったり、時には書評に傷ついたことをほのめかしたり、ビジネス面での行き違いなども出てきますが、それは小さいこととして乗り越え、個人としては交友を続けようと努めているのが見てとれます。優秀な研究者・紹介者・翻訳者であるという利益のためだけではありますまい。キーンさんはこう書いています。
私たちは間違いなく友達だったが、彼の礼儀正しさには一本筋の通ったものがあり、
それは私たちの関係のあらゆる面に行き届いていた。
三島は、いつも折り返しすぐ手紙の返事をくれる日本では唯一の友人だった。
――前掲書p.277
私の日本語では、教科書で覚えた丁寧な言葉遣いになりがちで、
心安い友達同士のやり取りは、どうしても無理だった。
そしてこのことは、以後もずっと、私たちの交友関係に、
影を落とし続けることになるのだった。
――『声の残り 私の文壇交遊録』(ドナルド・キーン 金関寿夫訳 朝日新聞社)p.100
うーん、でも、べたべたせずに礼儀正しく、互いの美意識を信頼・尊敬できる仲って――私にはむしろうらやましい関係に見えます。
書簡集という絶滅危惧種
…こういう手紙を、のちにこうして本にして公開してしまうのは賛否両論あると思いますが(個人としては、『ネガティヴ・ケイパビリティ …』でパブのじいさんに言わせた台詞がそのまま自分の意見です)、やはりこういうものが読ませてもらえるのは、読者としてはありがたく感じます。今回に関しては、読んで以来三島サンへの「鬼門」縛りが緩み、むしろ興味が湧いて読めそうな著書を買ってみたり、映画の『黒蜥蜴』を見てみたりしました。(三島さんが原作戯曲を書き[江戸川乱歩の小説の戯曲化]、ちょっと驚く形で出演もしている丸山明宏主演版はDVDになっていないようです。それで大きな声では言えませんが、某動画投稿サイトのお世話になりました。海外の方が英語字幕入りのをアップしていました)
「三島由紀夫」と聞くと、たとえ作品を読んでいなくとも(読んでなければなおのこと?)、どうしてもあの最期から一生を逆算して見てしまう気がします。それが書簡集を読んだことで、逆算ではないリアルタイムの空気を想像できました。最後の手紙なんかまさに遺書なんですが、わりと冷静にその後の本の海外出版についてお願いしていたり……イメージしていた激しさや暑苦しさはまったくなかったので、苦手意識の呪縛が緩んだのはそのおかげかもしれません。(好きになったわけでもないですけれど)
書簡集、先ほど好きだと書きましたが、折あるごとにご紹介しているのが、先ほど触れた『ジャン・マレーへの手紙』。ジャン・コクトーが俳優ジャン・マレーに送った手紙を集めたものです。これも三島→キーン本も、返信は収録していないのが残念なのですが――両方とも刊行時に一方だけ亡くなっていて、他方が存命中であったことも関係しているかもしれません。読者としてはやりとりを読んでみたかった、とも思いますが、実情として難しいこともあるでしょう。マレーはこんな風に書いています。
ジャン・コクトーの手紙だけ集めて、私の返書を公表しなかったのは、探してもすべてが見つからなかったためである。べつに残念に思っていただくことはない、どれもみな、幼稚、単純、なんのとりえもなありはしない。ジャン・コクトーの手紙さえあれば、ぼくたち二人の物語をするのにはこと足りる。文通の相手をふさわしい人間と思わせるにも充分である。
私が見つけることのできたジャン・コクトーただひとつの欠点は、私にそなわってなどいないさまざまな美点でこの私を飾って見ていたこと。
『ジャン・マレーへの手紙』三好郁朗訳 東京創元社 マレーによる「はじめに」より
…でも、返信がない書簡集は、たまたま自分の読んだもの(上記の他にコナン・ドイルせんせの書簡集など)がそうだっただけで、むしろ「往復書簡集」という形態はジャンルとして伝統を持っているようです。ちょっと検索したらゾロゾロ出てきました。そこでその中から、価格が手頃で興味が湧いたものを注文してみました。
『漱石・子規往復書簡集』は、大昔にNHKの教育テレビ(現Eテレ)で「市民大学」という番組がありまして、その中で正岡子規の周辺を主題にした「子規山脈」という講義シリーズにはまったことがあったんです。(あ、でもほとんど覚えてませんよ!(笑))それでなんとなく感情移入しやすかったので。でも、よく見る写真のイメージから子規のほうが若いようなイメージ持ってました。入ってる年表を見たら生まれたのは同年だったんですね。(←ほ~ら覚えてない!(笑))
あっ、今アマゾンを見たら、市民大学のテキストの古本が売られてました!うわー懐かしい❤ 書籍化もされてるようです!
『川端康成・三島由紀夫往復書簡』は、今回キーンさんの本をいもづる式にいろいろ読んで興味がわいたので。
『エラスムス=トマス・モア往復書簡』は、トマス・モアが主人公の『わが命尽きるとも』という映画が好きなので。エラスムスは名前に聞き覚えがある程度でピンとくるイメージはありませんが、表紙の肖像画がイケメンなので入りやすそう……ミーハーは得です。(表紙の右側がエラスムス。ピーター・カッシング系じゃありませんこと?(笑)) これらはさわりをつまみ食いしただけなので、これからちまちまと楽しみます♪
ただ、ページを繰りながら思ったのは……こういう書簡集は今後の世代では絶滅するんだろうな、ということ。これらは手紙だからこそ後に残って編集することもできたわけで。今はほとんどがメールやSNSですから、当事者が亡くなったらアカウントもなくなってメールも消えるわけですよね。なんだか万事がそういう流れで、もちろん個人情報保護の面からはそうでなくてはならないのですが、こういった文学研究的・歴史研究的な意味では、ちょっと背筋がお寒い感じがします。
その一方で今、(折々引用していますが)E. M.フォースターせんせの「研究とはマジメくさったゴシップにすぎない」という名言を思い出していたり。たしかに、こういうものは根本的には野次馬根性でしかない、とも言えます。人格ある人間の思い出としては、正確な記憶や記録が幸いとは限らない。消えた方がいいこともある。そして「そう、たぶん思い出そうとしない方がいいのだ」とも書いていたキーンさん――。自分のなかでいろんな思いがぐるぐるしています。
…これからデジタル・アーカイブというものがどういう広がりを持つのかわかりませんが、電子情報は簡単に消えます。(昔メールソフトのトラブルでごそっと丸ごとメールを失ったことがあります(^^;))意識してプリントアウトを残しでもなければ、これからほとんどの記録は簡単に消え得るものになるでしょう。百年後にこの時代を研究する人は大変だろうなあ……。(いや、その頃にはタイムマシンができてるでしょうか?(笑))
まとまりませんがこのへんで。