家族とは/『キッド――僕と彼氏はいかにして赤ちゃんを授かったか』感想

アメリカのゲイのカップルが養子縁組をするまでのノンフィクション。コミカルなタイトルが表す通り、中の文章もかなりコミカル(でシニカル)。シリアスなネタも下ネタも、カジュアルにツルツル読める文章です。遅読な私が二日で読んでしまいました!(笑)

 

読んだきっかけはもちろんゲイのカップルについてのリサーチだったんですが、それ以上に「なぜ子供がほしいのか?」も興味がありました。自分自身にそういう願望がまったくないこともあって、ゲイのカップルが「わざわざ」子供をほしがるという心理が知りたかったんです。

ゲイのノンフィクション本のオファーがあり、売れる題材を考えていてコレだと思ったとも書かれているんですが、もちろんそれは冗談。本の企画を考える前から、もっと言えばここで出てくる「彼氏」とつきあい始める前から、この筆者はゲイとして子供を持つための画策(レズビアンの女性と組んで子供を持つ計画など)をあれこれしています。その理由はいろいろ書かれていますが、どこまでが本気なのか、冗談なのかわからない。もしかしたら、「なぜほしいのか」はほしい人にとってむしろ自然なことで、説明しようがないのかもしれないな、と思いました。自分も別のことで「なぜ?」と言われたら説明できないけど欠かせない、というものはありますもん。

 

本の中では、子供をほしがっているヘテロのカップルとの違いが浮き彫りになるところがあり、これもなるほどそういうものか、と思いました。ヘテロの夫婦が養子を求めるまでには、不妊治療など長く苦労を重ねているので、「これが最後の望み」という感じなんですね。それに引き替えゲイのカップルは「不妊」であることが前提……この辺も改めて考えたことがなかったことでした。

 

一方で、なぜ子供をほしがるのかまったく理解できないという女性もいたり、中絶についての白熱した議論をゲイの男性同士がしていたり……というところも出てきて、いろいろ視野が広がりました。特に後者については、自分が絶対に当事者とはならない人たちが議論しているのを、女性たちは距離をとって関わらないようにしていた、という描写があって妙に印象的でした。当事者でないところで議論が白熱する、というのはいろんなところである構図かもしれないなあ……なんて思いました。

 

このカップルが申し込んだ養子縁組はちょっと変わっていて、「オープン・アダプション」というもの。生みの母親が養子を希望するカップルのなかから子供を託すカップルを選び、面談などを重ねて双方同意したら生まれた子供を渡し、その後も定期的に子供に会ったり、成長の様子を報告してもらったりしていくものだそうで、子供も自分の生みの親を知ったうえで育ての親と一緒に暮らしていく、というシステムだそうです。従来方の養子縁組は、子供には養子であることや生みの親を知らせず、大人になってからそれを悩んだり、生みの親を探したり……という話を聞くような気がしますが(もっとも自分が知っているのは映画などに出てきたケースなんですが)、オープン・アダプションは「家族の定義そのもの」が拡大している感じがして、これまた興味深かったです。

 

子供を養子に出す側、というのも想像ができていなかったところで……若くして予定外に未婚の母になってしまって育てられないとか、そういう(自分の目には)「別の問題」だと映っていたことがダイレクトにつながっているのでした。これも読むまで意識できなかったことでした。今回の本に出てくる生みの母親はまたちょっと特殊なライフスタイル(ガター・パンクというそう)で、放浪するので連絡をとることさえひと苦労です。彼女はゲイのカップルを育ての親に選んだ理由を、嘘っぽくなかったからだと言います。この本を書いた「僕」と「彼氏」以外の養子縁組希望カップルはすべて中流の白人夫婦だったそうで、逆に言うとそういう人たちを「嘘っぽい」と感じてるんですね。ちょっとわかる気がする。スゴク愛想のない子なんですけど、その辺も興味深かったです。

 

この本を書いたダン・サヴェージはセックスお悩み相談コラムで売れているライターさんということなので、文章のトーンがコミカルなのはそのへんの「芸風」なのでしょう。かなりシリアスな問題がたくさん出てくるんですけど、おかげで読みやすくなっています。

 

この本の原著は1999年の本で、状況はその後かなり変わってきていると思います。アメリカでは同性婚も合法になりましたしね。このカップルと子供のその後は『誓います――結婚できない僕と彼氏が学んだ結婚の意味』という本で語られてるそうなので、そちらも読んでみたいです。