『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』と『サラエヴォの銃声』

イアンものの肥やしに、相変わらずヨーロッパ近代史(現代史?)を漁っております。そんななかの拾いもの。本と映画のご紹介です。

 

『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』

 

まずは『第一次世界世界大戦はなぜ始まったのか』。今の興味とドンピシャのタイトルなので購入しました。これ、買ったあとにアマゾンのレビューを見たら低評価が多めでびっくりしたんですけど、内容が悪いというより、「素材を素材のまんま印刷しちゃった」感じなんですね。なんというか、食べやすい大きさに切るとか、食欲が湧くように盛りつけるとかがされてない。レビューでも編集がやり玉に挙げられてますが、その通りだと思いました。

 

原稿執筆から体裁のデザイン・広告までやらねばならない一人出版社状態の身としては、文章を読みやすく整えるくらいは著者の仕事ではとも思えるのですが、著者がホームページに掲載していた文章をまとめたものらしい、とレビューで指摘されてるので……ここからは想像ですが、もしも「このコンテンツ、本にしませんか?」「いいですよ」程度のやりとりで突貫工事でできた本だとしたら――というのは、奥付を見ると第一次世界大戦100周年にばっちり合わせたタイミングで出ているんですよね――そのマーケティング的な都合で、結果双方がタッチしない、責任と責任の狭間の真空ゾーンができてしまったのだとしたら(こういうことは組織の仕事ではよくあるんですけど)、あまりにも素材が勿体ないし、著者に責任を問うのも酷ですよね。とにかくプレゼンテーション――盛り付け方って大事だな、と思いました。本もお料理と同じですね。

 

なんかへんな切り口から入ってしまいましたが、内容は今まで知らなかったことがいろいろ書いてあるし、レビューの一つで提案されてる通り、しっかり編集作業をしたら魅力的な本になったのではと思います。それと、面白い箇所がじつは話が飛んでるところなんです。いきなり帝国主義時代の日本との比較が挟まってたりするんですけど、そのへんのアナロジーこそがオリジナリティを感じるところだし、「へええ!」と「掴まれる」ところなので。ただ、通史として読もうとしているといきなり話題が変わるので面喰いますね。あと、固有名詞の説明が少ない。ここはやはり編集しだいでしょうね。

 

 

自分はレビューを読んである程度覚悟したのもあり、多少とっつきづらいのは仕方ない、と思って、電子辞書(ブリタニカ百科事典が入ってます!)と地図を傍らに置いて、一番興味のわくところから読み始めました。そうしたらわりと面白く読めてます。ただし、微妙に文脈がわかりにくいところも自分で脳内補完しながらです。

 

文章自体が読みにくいと感じるのは、文と文をつなぐ接続詞などが乏しくて文脈がとりにくいところがあるためです。これ、英文を直訳した感触と似ていて。…翻訳の参考にしている『英日実務翻訳の方法』(これはまたおすすめの本です!)に、英語を指して「文間が広い」という表現があるのですが、それとまさに同じことです。「………。というのは、………だからである」みたいに流れを示す言葉がほしいところで、それがない。「………。」の部分だけが連続している感じなんです。それで、文脈は自分で考えなければならない。ちなみに上記の翻訳教本では、日本語は「文間」が英語より狭い言語なので、その接続詞なり、文脈を示す表現なりを補完するのが和訳の重要な仕事として書かれています。なるほどと思います。

 

話が飛んじゃいました。(^^;)で、興味はもう開戦直前の「サラエボ事件」なので、いきなりそこから読みました。セルビア人の青年が、オーストリア皇太子を暗殺した事件です。一次大戦のきっかけとしてよく言及される事件ですが、この本で初めて詳細、特に犯人とそれに至る背景について知りました。教科書的な文章では「セルビア人青年」としか書かれないこの人物、当時まだ19歳で、名前はガブリロ・プリンチップといいます。陰で糸を引いたとされるのが「黒い手」という秘密結社。他に失敗した実行犯もいて、見届け役以外は未成年。捕まったときの極刑を避けるためだったらしいのですが、プリンチップは獄中で病死(あるいは拷問死)したそうです。で、ここから『サラエヴォの銃声』に興味がつながりました。

 

本自体はまだ読了していないのですが、サラエボ事件のところを読んだあと、結局は最初から――1848年のパリ二月革命から書き起こされてるんですが――読んでいます。やはり流れを知るには必要で、むしろここから始まるのは丁寧なんじゃないでしょうか。同じ著者の他の本は評価も高いですし、つくづく本としての仕上げがイマイチなのが惜しまれます。

著者は一時大戦をテーマにしたホームページを持っておられるので、リンクを貼っておきます。軍事史がご専門だそうです。

 

別宮暖朗さんのホームページ『第一次大戦』内・「このサイトの構成」
フロントページからはリンク切れが多いので、まずはこちらを。まだチラ見ですが、ほんとにすごい情報量です。

 

第一次大戦

フロントページはこちら。ひょっとして、リンク切れになってるページは本のコンテンツとして提供されたため非公開になってるのでしょうかねぇ……?

 

 

『サラエヴォの銃声』

こちらはテレビで知って、サラエボ事件の実行犯プリンチップ――映画での表記は「プリンツィプ」――が大きなモチーフとなっている映画ということで興味がわいて見に行きました。とはいえ、大戦時の時代ものではなく現代ものです。

 

舞台はサラエヴォ(ここから映画に表記を合わせますね)にある、第一次世界大戦100周年の記念式典が行われるホテル。ここの屋上で、テレビ用のインタビューの収録が行われています。歴史学者等が出てきてサラエヴォの歴史を総括してくれますが、この学者さんたちは俳優さんではなく本人として出ていたんじゃないかと思います。そして

「ガブリロ・プリンツィプはテロリストか、それとも英雄か?」

という命題が提起されます。そこへインタビューを受けに現れるのが、当のプリンツィプの子孫で同じ名前を持つ男性。インタビュアーの女性は民族的出自等で彼とは対立する立場にあり、激しい口論が展開されます。

 

一方、同じホテルの中では別のドラマが同時進行します。このホテルは記念式典の要人を迎える場所ですが、じつは経営は傾いていて、従業員は二ヶ月も給料を受け取っていません。そして式典当日にぶち当ててのストライキが計画されます。自分も給料はもらっていないと説得したり圧力をかけたりする支配人、美しい受付主任嬢、彼女に惚れている厨房の男性、彼女の母であるクリーニングのおばさん、そして地下の怪しげなクラブを仕切るやくざ者、ホテルに宿泊するフランスのセレブ――さまざまな人物のドラマがつながっていきます。

 

でも、自分が一番惹かれたのは、先ほど書いた「ガブリロ・プリンツィプ」とインタビュアーの女性のスリリングな関係の変化でした。口論の末、ずっとあとになって、ガブリロがインタビュアーの女性に「プリンツィプはテロリストか、それとも英雄か」の質問を改めてすると、彼女は二者択一から離れてこんなことを言います。彼は理想に燃えた青年だった、と。

 

利害や信条で自分と対立する人物に対して、みんながこういう視点を持てたらどんなにいいでしょう。…しかし、これで二人が歩み寄るかと思いきや、ことはそう簡単には運びません。そしてラストは……もちろんここには書けませんが、子孫である男性が「ガブリロ・プリンツィプ」という名前を持つこと(この子孫のキャラクターは架空の人物とのこと)で重層的な意味が生じ、寓話のような、現代ものでありながら古典劇のような――ある種の味わいがありました。映画として「そうくるか」という虚を突かれた展開でもありました。ほんとに見事。そして現実を映している。こんな作品が作れたらなあ……と思います。

 

前述の『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』では「黒い手」とされていた組織が、「黒手組」として冒頭の学者らのインタビューで言及されます。そしてサラエヴォの支配勢力が変わるごとに皇太子暗殺現場が意味を変え、記念碑の語る内容も二転三転してきたことが語られます。皮肉だけれど、この「状態」こそがヨーロッパだ、とも感じます。字幕ではホテルの名前は出てきた記憶がありませんが、パンフの写真を見ると名前は「ホテル・ヨーロッパ」。やはり寓話的です。

 

題材から社会派ともいえますが、とにかく作劇がとても見事な映画でした。正直、冒頭の史実の総括では知らない固有名詞がたくさん出てきて、この地域の歴史に詳しくない自分にはついていけない部分も多かったです。それでも、それが気にならなかったのも事実です。理由は、「出てくる人物同士の関係」がわかるようにシーンが作られているからです。説明するのではなく、見せるのです。優れたフィクションはここがきっちりしています。自分が創作する場合でも押さえたいポイントだと思っています。もちろんこういった題材の映画は、史実に明るければより深く、別の切り口でも味わえるでしょう。でも映画は(映画に限らず創作作品は)鑑賞者の知識を試すトリビアテストではありません。鑑賞するうえでは、史実の勉強ではなく人物の力学こそが主題で、優れた作品ではそこにより大きな構造が二重写しになり、その広がりを「感じ取らせてくれる」のです。そこが醍醐味だと思います。

 

ほんとにおすすめの一本でした。機会があったらぜひ。

 

『サラエヴォの銃声』公式サイト

 

*   *   *   *   *

 

この映画を知ったきっかけは、毎朝見ている『キャッチ!世界のトップニュース』の「映画で見つめる世界のいま」というコーナーでした。国際政治学者の藤原帰一さんが月に一回、二本の映画を紹介しています。社会派系が多いですが、『ラ・ラ・ランド』(未見ですが)も現代のアメリカに流れる「現実を離れたい」気分の反映、という切り口で紹介されてましたし、以前にはエドワード・スノーデンくん(ええと、ファンなのです❤)の映画も紹介されたりで、自分にはお花畑のことも多いです。(笑)

 

ここからは余談ですが、スノーデンくんの映画についてツイートしたときに、上記の藤原さんのアカウントからフォローをいただきまして、Twitterをなさってることを知りました。以来フォローさせていただいてます。先日は『ムーンライト』の感想をつぶやいたところ、これも以前紹介されていたせいかリツイートして下さって、翌日RTや「いいね」がいくつもついていたのでびっくりしました。(時々伝播力のある方に発言を拾っていただくと、こんなことになるのがTwitterの面白いところです。逆に言うと独り言のつもりで無責任なことは書けない場でもありますね)接点がなかった方々に書いたものが届いて、反応を頂けたのは素直に嬉しかったです。

 

うちでとってる新聞にも月一回くらい政治ネタのコラムを書いてらっしゃって、以前から拝読していました。国際政治学者の肩書は大好きなE. H. カーせんせとも通じるのでちょっと憧れます♪(笑)Twitterはあまり覗けていないのでかなり見逃してると思いますが、映画の話以外に国際政治関連の海外記事紹介もなさってるので、そのへんにご興味がある方は参考になるかもしれません。

 

藤原帰一さんTwitterアカウント

 

 

…そういえば、イアン周辺のリサーチで海外の歴史学者さんのプロフィールをWikiを頼りに読んでるのですが、現代史を扱う歴史学者さんは政治学を兼ねるケースがわりと多いような……(カーせんせが両方の肩書で紹介されるので、脳内でそんなイメージになりがちなのかもですが)……でもこれは必然かも。現代の世界史を考えるなら政治状況はその柱ですし。イアンは二十世紀前半のヨーロッパが専門という設定なので、リアルタイムのニュースをどういうアナロジーで見るかなあとか、ライターとしてのどういう仕事につながってるかなあ、というあたりを想像しやすくなってきました。BL系ではありますが、いただいたご感想を拝見するといろんな切り口で読んでいただいてるので、リアルの取り込み方も工夫したいと思います。とはいえ、肝心なのはメインストーリーですし、トンデモネタと絡めるシリーズですので、本末転倒にならないようにがんばらねばです。

 

…ということで、資料話としてオチをつけて終わります☆