補遺と『王殺し』のこと

 作品のイメージソースを公開してネタを割るようなことをしました。(笑)しかしもともと『王殺し』を収録した同人誌は、国内での知名度があまりに低い『Royal Hunt of the Sun』を微力ながらご紹介したい、という動機のほうが先に立ってできたものなので…小説のほうがおまけかもしれません。(笑)

 

 戯曲は英米ではモダンクラシック扱いで、洋書ならたくさん出ているんですよね…。日本でも人気若手俳優さんでやってくれたら戯曲を再版してくれるだろうになあ…とか思ったりして。何年か前、小栗旬さんが『カリギュラ』をやって、絶版になっていたカミュの原作戯曲が別の出版社から出たことがありましたね。(でもあれの初演はジェラール・フィリップ主演で、大昔の文庫には初演時のキャストが書かれてたりして、また別の価値があります。古書が高かったりしますね…って、それはまた別の話(笑))

 

 ちなみに『Royal Hunt...』、日本では過去に山崎努=ピサロ渡辺謙=アタワルパというすごいキャストで、『ピサロ』のタイトルで上演されたことがあるそうです。見る機会はありませんでしたが、おぼろげにポスターだけ覚えています。この頃の山崎努さんは『リチャード三世』(これはテレビの劇場中継で拝見❤)など、舞台を精力的になさっていた印象があります。…ちょっと探してみたら、パルコ劇場の記録ページがありました。1985年だったんですね。

パルコ劇場: ピサロ

映像で残ってないんでしょうかねえ…。(Youtubeで探してみたところ無かったんですが…(タメイキ))

 

 『王殺し』は、『Royal Hunt…』や『永遠の生命』にある「蛮族の王と白人の出会い」というモチーフ、とくに前者のインカのイメージの変奏から始まり、いじくり回しているうちに、だんだん筋がひねくれていきました。イベント合わせで2~3数週間で書いたお話でしたが、その間に幸運な偶然――たまたま中南米探険関連の新刊書の書評が出て、それがまた良書だったり――があり、いろいろ魅力的なモチーフが集まったので、最終的にはイメージソースからかなり成長し、別のテーマも獲得できたかな、と思います。(この「物語が成長する」という予想不可能の過程とセレンディピティの面白さがたまらなくて、その後も物語を書いているような気がします。あらかじめ起承転結を決めてそのパーツを埋めていく、という書き方がどうも自分にはできません)

 

 『Royal Hunt…』がメジャー作品だったら、オリジナルは書かずにやおいパロでも書いて満足していたかもしれません。作品が不遇(?)なことで、逆に自分なりのJUNE(これでもJUNEなんです…自分には(^ ^;))を追求する機会を得たわけで、書き手としては案外得をした(?)のかもしれません。

 

こういう、「がっつり二次創作ではないけれど、過去の作品に触発され影響を受ける」という連鎖は、創作には不可欠なものだと思っています。そしてこれは、実際にできるものの実態も、パクリとはまったく違うものだと感じています。(自分を正当化するというわけでなく(笑)、他者の作品を見て、パクリとそうではない「影響を受けたオリジナル」は、はっきりと区別がつくものです)生まれたときからフィクションに浸かっている自分たちには、すでにあらゆる形のフィクションや、間接的にでも見聞きしたカルチャーが人生経験を作っていて、そこから美的感覚や人生観が生まれているわけですから。

 

そういう「人生の環境」の一部として良質の作品に触れて、またそれから影響を受けたものを自分なりに生み出していくというサイクルは、精神的な生命のサイクルであり、人間だけができる、とても幸福な体験だとも思います。